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外鎌山北麓(とがまやまほくろく)古墳群〔桜井市慈恩寺・竜谷・忍阪ほか〕
 

 三輪山の初瀬谷(はせたに)を挟んで南側、鳥見山の粟原川を挟んで東側にある標高292.5mの山塊が外鎌山である。この北麓部一帯が、近鉄朝倉駅にほど近い「朝倉団地」として開発されることになって、1972年~75年にかけて発掘調査が実施された。尾根には、古墳群が形成されており、その全体が外鎌山古墳群と呼称されている。竜谷支群で13基の古墳、慈恩寺支群で10基の古墳、忍坂支群で8基の古墳がそれぞれ調査された。
 このうち、忍坂5号墳は古墳というより、区画溝から土師器が出土していて、方形台状墓(ほうけいだいじょうぼ)に相当するものであるが、古墳時代中期(5世紀前半代)の年代が考えられ、築造時期としては最も古い。また忍坂8号墳と9号墳は、埋葬施設が磚槨式石室(せんかくしきせきしつ)と呼ばれる特殊な構造であり、特に8号墳は六角形の平面プランを有する唯一例である。飛鳥時代(7世紀中葉)に築造されたいわゆる終末期古墳であり、律令官人層がその被葬者として考えられる。
 このほかの古墳は、木棺直葬(もっかんちょくそう)または横穴式石室を埋葬施設とした直径10~20m程度の円墳が大半であり、その築造年代は、古墳時代後期(6世紀代)に築造されたものである。副葬品としては、朝鮮半島に関わるものとして忍阪3号墳で鉄鐸(てつたく)、忍阪4号墳で百済(くだら)系の平底壺が出土している。このほか、竜谷3・12号墳、忍阪4号墳などで鉄製馬具が出土している。
 こうしたなか、慈恩寺1号墳は、直径22mの円墳とされるが、前方後円墳の可能性もある古墳で、木棺直葬の埋葬施設から、類例の乏しい遺物が出土している。通有のガラス製玉150点、滑石製臼玉、琥珀製玉や鉄鏃・刀子などに加え、金製指輪が1対、ガラス製小玉の装飾を取り付けた銀製中空勾玉7点、銀製空玉(うつろだま)、トンボ玉などの遺物が出土している。これらも、朝鮮半島との関わりが想定できるだろう。古墳の築造年代は6世紀前半代と考えられる。
 国宝隅田八幡神社人物画象鏡の銘文には「意柴沙加宮(おしさかのみや)」の文字が刻まれている。本古墳群北側の初瀬谷には、脇本遺跡がある。5世紀末頃の大型建物や石垣の遺構が検出され、雄略天皇の初瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)の関連が想定されている。また、忍阪(おっさか)には、八角形墳である段ノ塚古墳があり、舒明天皇陵に治定されている。こうした周辺遺跡とつながりながら、本古墳群が造営されたのであり、その歴史的意義は重要である。なお、忍坂1・2・8・9号墳は朝倉団地内に移築復元されている。

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